続・七草粥
じゅん( @JMaugun )です。
母とのやりとりで、七草粥に関する衝撃の展開にビックリしつつ
「よし、こうなったらおばあちゃんにも聞いてみよう!」と
唯一健在の母方の祖母に、お正月の挨拶がてら電話する事にしました。
祖母の証言
祖母は私が電話をかけてきた事に殊の外喜んでくれましたが
大事な事を聞かないと!という事で
「おばあちゃん、今日は七草粥の日やったよね?」
すると
「そうやなぁ。おばあちゃんも昔はよう作ったわ」
え?
「おばあちゃん、七草粥作ってたって、何を入れてたの?」
えぇ?
母ちゃん食べた事無いゆーてましたけど?
えぇぇ??
祖母の過去
祖母曰く、結婚するまでは実家でずっと
一般的によく知られる「七草粥」を作っていたそうです。
(「白いお粥炊いて、最後に七草入れるんよ」とのこと)
7人兄弟の末っ子の祖母は、姉たちと七草を摘みに出かけ
家に帰ると母や姉と一緒に、七草を刻む時の歌を歌いながら
トントンと包丁で刻んだそうな。
そして20歳で結婚、実家の近くの新居で暮らし始めます。
21歳の頃に私の母が生まれ
どうやらこの頃はまだ「七草粥」を作っていたそうです。
その3、4年後、生まれ育った海辺の町からほど近い
街中(現在も同じ場所に居住)に移り住みました。
「◯◯に移ってから、作るんやめたんよ」
だそうです。
ここから先は勝手な推測ですが
見知らぬ土地に引っ越して、七草の生えてる場所を一人で探しに行けなかった祖母は
作るのをやめたのではないでしょうか。
そして、七草粥を作らなくなった代わりに、雑煮を作ったのではないでしょうか。
(末っ子ちゃんの祖母は、今でも一人で何かをするのを嫌がる上
娘・息子である私の母や叔父叔母に
「業者さんに電話かけて〜」とかで電話をかけてきます(笑))
そら母ちゃん3、4歳の頃から食べてなかったら
新暦?旧暦?いつ行った?
祖母は
「『旧正』(きゅうしょう)なんか誰もやれへん。新暦で正月は祝ってた!」
と何度も言うのですが
「え?でも七草摘みに行ってたんやろ?今頃その辺に生えてるんか?」
と尋ねると
「うーん・・・生えてないな・・・」
との返事。
なのでおそらくですが、旧暦で行なっていたのではないかな?と思います。
(ちなみに祖母は、いい加減な事を自信たっぷりに断言する事があり
昔、「V6の岡田君は、岡田眞澄の隠し子や!」とトンデモ発言をし
V6デビュー直後の時期だった事もあり
その場にいた親戚全員をパニックに陥れました(笑))
何分 60年以上前の出来事なので、祖母自身の記憶もあやふやでしたが
今回ゆっくり電話で話が聞けて良かったです。
とりあえずの結論ですが
- 祖母は結婚前は七草を摘み「七草粥」を作っていた
- 母が生まれて数年後、作るのをやめた
- 母は「七草」や「七草粥」について知らないまま育ち、結婚
- 結婚後も知らないから「七草粥」を作らない
- 娘も二人とも「七草粥」を食べた事ない
という流れだったようです。
文化ってこうして消えて変わっていくんですね・・・
私が七草粥を作った事を聞いた祖母は、とっても嬉しそうで良かったです。
余談ですが
そして亡くなって久しい祖父の話にも花が咲きました。
大半が祖母の苦労話でしたが(かなり変わった人だったので(笑))
母が幼少時に飼い、はこべをあげていた鶯の名前は
「チャッチャの梅やん」という名前(祖父命名)だった事を思い出した祖母は
「今の今まで忘れてた、『チャッチャの梅やん』の事も思い出せて良かったよ」と
嬉しそうに話していました(笑)
余談の余談ですが(笑)
その後母に電話でその話をした所
「チャッチャの梅やん」についての驚くべき新情報が!
なんと「チャッチャの梅やん」は、祖母の父親のあだ名だったそうで
私の祖父は舅のあだ名を
ペットにつけていたという事が分かりました(笑)
じーさん、何してんねん(笑)