旧暦ホテル ―古くて新しい暦と暮らす―

2018年立春からスタート。旧暦と共に、「大人の本気の『ごっこ遊び』を通じ、ホテルで過ごすような快適な日々を追い求めていきます。

続・七草粥

 じゅん( @JMaugun )です。

 

母とのやりとりで、七草粥に関する衝撃の展開にビックリしつつ

「よし、こうなったらおばあちゃんにも聞いてみよう!」

唯一健在の母方の祖母に、お正月の挨拶がてら電話する事にしました。

 

 

祖母の証言

祖母は私が電話をかけてきた事に殊の外喜んでくれましたが

大事な事を聞かないと!という事で

 

「おばあちゃん、今日は七草粥の日やったよね?」

 

すると

 

「そうやなぁ。おばあちゃんも昔はよう作ったわ」

 

え?

 

「おばあちゃん、七草粥作ってたって、何を入れてたの?」

 

「そらあんた、せりやらナズナやら、よう言うてる七草よ」

 

えぇ?

 

母ちゃん食べた事無いゆーてましたけど?

 

えぇぇ??

  

祖母の過去

 

祖母曰く、結婚するまでは実家でずっと

一般的によく知られる「七草粥」を作っていたそうです。

(「白いお粥炊いて、最後に七草入れるんよ」とのこと)

 

7人兄弟の末っ子の祖母は、姉たちと七草を摘みに出かけ

家に帰ると母や姉と一緒に、七草を刻む時の歌を歌いながら

トントンと包丁で刻んだそうな。

 

そして20歳で結婚、実家の近くの新居で暮らし始めます。

21歳の頃に私の母が生まれ

どうやらこの頃はまだ「七草粥」を作っていたそうです。

 

その3、4年後、生まれ育った海辺の町からほど近い

街中(現在も同じ場所に居住)に移り住みました。

「◯◯に移ってから、作るんやめたんよ」

だそうです。

 

ここから先は勝手な推測ですが

見知らぬ土地に引っ越して、七草の生えてる場所を一人で探しに行けなかった祖母は

作るのをやめたのではないでしょうか。

そして、七草粥を作らなくなった代わりに、雑煮を作ったのではないでしょうか。

(末っ子ちゃんの祖母は、今でも一人で何かをするのを嫌がる上

娘・息子である私の母や叔父叔母に

「業者さんに電話かけて〜」とかで電話をかけてきます(笑))

 

そら母ちゃん3、4歳の頃から食べてなかったら

七草七草粥も知らんわな(笑)

 

新暦?旧暦?いつ行った?

 

祖母は

「『旧正』(きゅうしょう)なんか誰もやれへん。新暦で正月は祝ってた!」

と何度も言うのですが

「え?でも七草摘みに行ってたんやろ?今頃その辺に生えてるんか?」

と尋ねると

「うーん・・・生えてないな・・・」

との返事。

なのでおそらくですが、旧暦で行なっていたのではないかな?と思います。

(ちなみに祖母は、いい加減な事を自信たっぷりに断言する事があり

昔、「V6の岡田君は、岡田眞澄の隠し子や!」トンデモ発言をし

V6デビュー直後の時期だった事もあり

その場にいた親戚全員をパニックに陥れました(笑))

 

何分 60年以上前の出来事なので、祖母自身の記憶もあやふやでしたが

今回ゆっくり電話で話が聞けて良かったです。

 

とりあえずの結論ですが

  • 祖母は結婚前は七草を摘み「七草粥」を作っていた
  • 母が生まれて数年後、作るのをやめた
  • 母は「七草」や「七草粥」について知らないまま育ち、結婚
  • 結婚後も知らないから「七草粥」を作らない
  • 娘も二人とも「七草粥」を食べた事ない

という流れだったようです。

 文化ってこうして消えて変わっていくんですね・・・

 

私が七草粥を作った事を聞いた祖母は、とっても嬉しそうで良かったです。

 

余談ですが 

 

そして亡くなって久しい祖父の話にも花が咲きました。

大半が祖母の苦労話でしたが(かなり変わった人だったので(笑))

母が幼少時に飼い、はこべをあげていた鶯の名前は

「チャッチャの梅やん」という名前(祖父命名)だった事を思い出した祖母は

「今の今まで忘れてた、『チャッチャの梅やん』の事も思い出せて良かったよ」

嬉しそうに話していました(笑)

 

余談の余談ですが(笑) 

 

その後母に電話でその話をした所

「チャッチャの梅やん」についての驚くべき新情報が!

 

なんと「チャッチャの梅やん」は、祖母の父親のあだ名だったそうで

私の祖父は舅のあだ名を

ペットにつけていたという事が分かりました(笑)

 

じーさん、何してんねん(笑)